新四国曼荼羅霊場五十一番札所 曹洞宗總持寺派 龍澤寺
1323年に創基、当時は龍天寺として名乗り、現在の北宇和郡鬼北町にあった。1433年に薩摩藩主島津元久の長男で、巡航した仲翁守邦禅師が中興し、現在の龍澤寺と改名、鬼瓦に島津家の家紋「丸に十」が刻まれている。
桃山時代の建築様式の七堂伽藍を建っており、3700坪の広大な敷地を持つ、寺院は今も尚、広大な敷地を有し、隣接した山々では、バンガローや草スキーなど、レジャーとしても人を引きつける。
お参り
1323年に創基、当時は龍天寺として名乗り、1433年に薩摩藩主島津元久の長男で、巡航した仲翁守邦禅師が中興し、現在の龍澤寺と改名、桃山時代の建築様式の七堂伽藍を建っており、3700坪の敷地をお参り頂けます。
戒名
戒名とは元来、仏教者として守るべき生活や心の規範を受けた者に対して授けられる名前です。 現在では亡くなってから戒名が授けられるというのが一般的ですが、本来は生きている間に戒を受けることが理想です。
お遍路
岐でご生誕されたお大師さま(弘法大師・空海)もたびたびこの地でご修行をされ、八十八ヶ所の寺院などを選び四国八十八ヶ所霊場を開創されたと伝えられております。当寺院は51番札所となっており、多くの方に参拝頂いております。